午前中までは時折、激しい雨が降っていた愛知県内ではありましたが昼前には雨も止み、何とか今回のシリーズ『古の競馬場を訪ねて』の初めてのフィールドワークを行うことができました。今回は愛知県の東、渥美半島の根元にあります愛知県豊橋市にあった『豊橋競馬場』を訪ねてきました。前回の取材で愛知県図書館にて様々な貴重な蔵書を見せて頂き、期待に胸を膨らませながらの豊橋行きになったんですが、今回は出鼻で豊橋図書館休館!! という憂き目にあい、多難なスタートを予感?させるものになりました。ただ、今回も多くの方々に出会ったりもして、いつものように人と出会える楽しい旅となりました。まずは簡単に『豊橋競馬場』の概略をご紹介します。
大正10年(1921年) 愛知県主催の愛知県畜産共進会が豊橋にて開催。その協賛事業として北設楽郡畜産組合主催の競馬が歩兵第18連隊練兵場にて行われる。
大正14年(1925年) 豊橋競馬倶楽部が結成される
この頃に豊橋競馬場が新設、愛知県畜産組合連合会主催にて競馬が行われる。
昭和6年(1931年)豊橋競馬場は岡崎競馬倶楽部が譲り受け移転する。
以上が『地方競馬史 第一巻』の愛知県に記述されていた歴史として残っています。実際に愛知県図書館にて残っている文献等を調べてみたんですが、愛知県図書館には文献は残っていませんでした。ただ、やはり『競馬=賭博』と考えられいた時代かもしれませんので、公式な郷土史等には残っていないのは仕方がないことかもしれません。また今回、お邪魔しようと思っていた豊橋中央図書館にも同じように文献としては残っていないようでした(レファレンスメールにて)。そんな中、地図としては昭和初期のモノが残っておりましたので、ここでご紹介したいと思います。出典等は旧漢字表記になっていたり、写真が下手でボケていたりしますが(笑)、修正しておりますのでご了承ください。
昭和元年(1926年) 『豊橋商工案内(豊橋商業会議所)』の豊橋市街図より
昭和2年(1927年) 『最新豊橋市街地図(山田信二)』より
昭和3年(1928年) 『豊橋商工案内(豊橋商工会議所)』の豊橋商業会議所地区内図より
昭和3年(1928年) 『豊橋市市制施行二十年誌(豊橋市)』の豊橋市街地図より
昭和5年(1930年) 『豊橋市とその附近(豊橋商工協会)』から吉田初三郎作の珍しい鳥瞰図より
以上が愛知県図書館で見せて頂きました貴重な豊橋競馬場が残る資料(地図)でありました。この地図を一週間眺めながら(笑)、先ずは最初に競馬が行われたと言われる『歩兵第18連隊練兵場』を探しに、豊橋市内の奥深くに?入り込んでいきました。
場所は豊橋市役所~吉田城跡~豊橋球場一帯にあったと言われており、先ずは豊橋球場へと向かい石碑等がないかなと探してみることにしたんですが、やはり広い敷地内・・・私も助っ人の子供たちもどうやって探そうか???と考えていましたら、豊橋球場の管理事務所がありましたので、そこで話を聞いてみました。すると・・・やはり郷に入れば郷に従え(これが当てはまるのか?)とばかり、年配の職員の方からこの建立碑を教えて頂きました。また年配の方でしたので(失礼!!)、今回の豊橋競馬場の話を聞いてみると、競馬場の存在を知っておられ隣に隣接する豊橋市美術博物館を紹介して頂きました。
豊橋公園は吉田城跡、美術博物館、三の丸会館、軟硬式テニス場、陸上競技場、野球場、プール等、戦災復興事業のシンボルとして整備された複合施設の走りのような場所になっています。実は私も豊橋とは何かと縁の深い人なんですが、今回初めて行った場所で、なかなかにいい場所でありました。
さて豊橋美術博物館では、残念ながら紹介された学芸員の方はお休み(日曜ですからね)でお会いすることはできなかったんですが、他の学芸員の方が気持よく応対して下さり、私のつまらない(趣味性の高い)この取材にも興味を持って頂けて、後日また連絡させて頂くことも快く応じて下さりました(感謝します)。学芸員の方は『今や専門家より一般の方の調査能力(行動力)の方が上ですから!!』なんて上手なお世辞に乗せられて、この競馬場取材を挫折するのはいかんぞ!!! と気持ちも新たにした私でもありました。
その学芸員の方に競馬場があった場所を大体、教えて頂きいよいよ競馬場に向かうのでありました。場所は下記にヤフー地図から地図と航空図を載せておきました。どうです?上の地図と見比べて共通点を見いだせますか?
まずは市電の路線図が載っていましたので、競輪場前の停車場にあった豊橋鉄道の営業所を訪ねてみました。さすがにこの当時を知ることはおろか、ここに競馬場があったということも、みなさん知りませんでした(当たり前ですよね、昭和の初めなんですから・・・笑)。ただ、やはり飛び込みで聞いてみるものです。昔と今とでは市電の走っている場所が変わっており、手に入れた地図は既に廃止されていた路線とのことでした。昔、昔、地図にもありますがここには『遊郭』があったため、そこへ市電が走っていたとのこと、街を歩いてみるとそんな名残も所々に残っている場所でした(今回は書きませんが)。
それでまあ歩きながら雰囲気をつかめれば!! と思い競輪場前の交差点から南下してたどってみました。今回は iPhone 3G のGPSが活躍してくれました。地図とGPSとのにらめっこで、自分の現在位置がすぐに分かりますから。これも今回からの新しい武器になりました!!
そんな感じで歩き始めてから・・・不意に気がついたのがこれから見て頂く写真なんです。私が感じたこと、みなさんはいかに?
写真は順番に競輪場前交差点を南下、Y字交差点を左に公園の方へ、コーナーを回って直線に向かう・・・どうです?競馬場の名残に見えてきませんか?実は最初に歩いた時にはキョロキョロ周りばかり見ていたので気がつかなかったんですが、二回目に歩いた時にふと思ったんです。もちろん、次の取材で地域の都市計画の変遷などを図書館や美術博物館で確認したり、伺ったりもするつもりなんですが、今回の取材で推理する楽しさ?も発見してきました(思い込みだったりもしますが・・・笑)。これが競馬場の名残だったりしたら・・・こんなに嬉しい発見はありませんし、フィールドワークの醍醐味(やはり地図だけでは分かりませんから)を味わえたのかな~と行ってよかったな~と子供たちと喜んで帰宅の途に着いた次第です。
今回の取材では豊橋球場の職員の方、豊橋市美術博物館の学芸員の方、豊橋鉄道の方々、地域のお寺の方、果ては交番のお巡りさんまで(笑)、お話を伺ったんですがみなさん豊橋に競馬場があったということを知っていた方は少なく(というか球場の職員の方だけでした)、とても興味を持って嫌な顔をされることなく、丁寧に質問に答えて下さりました。息子たちはやはり恥ずかしくないの?と聞いたりもするんですが、悪いことをしているんでもなく、キチンと事情を話して質問すれば、誰しも嫌なものではないよ・・・と教えながら『社会勉強(になったのかな?)』も出来たのかな~(体現できたのかな~)と思う今回の取材になりました。まだまだ新しい資料や事実が出てくるかもしれません。またこれからも随時、取材は続けていきますので、新しく分かったり書かなきゃ!! と思った時は、またこの『豊橋競馬場』に関しては、書いていきたいと思っています。まだまだ続きますが、一週間の中で一番楽しい時間の過ごし方かもしれません!!!
追伸:競馬がらみですが・・・ノリピー、ダービー制覇おめでとう!! そして豊君も雪辱したかな? 私が買わない時に予想した二人が1~2着!!! 嬉しいような悲しいような・・・!!
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