夏休み最後のイベントは、ご無沙汰していた三河新四国巡拝の旅のファイナルラウンドです。今回は一泊二日の温泉付き(笑)。またレポしていきます !
一週間の終わりであり、始まりでもある日曜日。記事の出来はともかく(笑)、自分に「お疲れ様」でした〜!!! って感じです。さて次はどこの廃止競馬場を訪ねてみようかな?
『古の競馬場を訪ねて』ファンの方々、お待たせしました(笑)。先週はフィールドワークの実況をお送りしておりましたが、今週は7月5日(日)に行ってまいりました廃止となった『岡崎競馬場』の現在について、写真や資料、そして様々な出会いについて書いていこうと思います。今回も楽しい取材となりましたよ!!!
さて最初に訪れましたのは愛知県畜産総合センター。ここは旧の愛知県種畜場だった場所で、大正12年(1923年)に設立され、岡崎にて最初に競馬が開催された場所でした(主催は愛知県畜産組合連合会)。
場所は先週もGPS Map CardでUPした通り、東名高速の美合P.A.に近い場所(本当に高速沿いでした)で、少し山間の場所にありました。残念ながら訪れたのは日曜日でしたので、管理棟はお休みということ。お話は聞けなかったんですが、写真の正門や案内図などを確認して当時の種畜場をイメージすることができただけでも収穫かな?と思っています。
関係のない話なんですが、この辺りが素人取材(サラリーマン取材)の限界だよな~ということを改めて感じたりもしています。実は別のお役所に取材に行こうと電話で問い合わせをした時のことなんですが、やはり平日(月~金)の9:00~17:00までに来て下さいと言われ、休みを取るわけにもいかずそのままになっていることを思い出し、この辺りが実は取材の大きな限界を感じる要因の一つだな~と思いました。ただ、その制約の中でどこまでできるのか(調べることができるのか?)というチャレンジ的なものは逆に生まれてくるんですけどね(笑)。
まあ、そんな感じで一発目は不発に終わったんですが、気を取り直して取材のメインである岡崎競馬場の跡地へと向かいました。事前に様々な資料を見たりしていたんですが、当時の岡崎競馬場に関しては『岡崎南風土記』に紹介があったので、先ずはそこからの引用をご紹介します(平成13年9月発行/編者:大石収宏)。
・四季を通じた景観の美しさから『東海一の好馬場』として知られていた
・大戦末期には観覧席前のコースは滑走路に改造され、海軍航空隊の基地となったが完成までには至らなかった。
・このため昭和20年(1945年)には米軍戦闘機(P51)の着陸してくるような低空飛行での攻撃を受けた。
・戦後は戦災を受けた岡崎工業学校の代用教室として投票所の建物が使われ、かなりの期間コンクリートパネルの机と椅子とで、この教室で授業が行われた。
・跡地はクラタ産業の工場と民家が建ち並んで、その面影を残しているところは岡崎乗馬会の馬場以外は、ほとんどなくなっている。
こんな感じでありました。また前回の記事では米国陸軍空中写真を通じて、ある程度の競馬場のイメージも持っていましたので、そんな感じで現地へと向かったわけです。
この写真のイメージから行くと私の中では京都競馬場の雰囲気を思っていました。内馬場に池があるという単純なものだったんですが(笑)。そんな感じで現地に到着、先ずは正面スタンド(厩舎や投票所等のあった場所)に行きました。ここは数年前まではクラタ産業という会社の工場があったそうですが、今は大型ショッピングセンターに変わっていました。かなり大きな規模の店舗だったんですが、裏を返せばそれだけ大きな敷地だったことがうかがえました。
ここから取材を始めたわけですが、実は今回も面白い『出会い』がありました。地図に沿って愛用のファイル、デジカメ、iPhoneのGPSを持ちながらコースをウロウロと歩き回り始めた私だったんですが、やはり『不審な人物』と思われたようです(笑)。取材を重ねていくうちに、あるお宅の前で場所を確認したり写真を撮ったりしていると、門の前で私をじ~っと見ている年配の方がいたんです。私も最初は『見られているな』とは思っていたんですが、ある時ふと『こんにちは。実はここって昔ここに競馬場があったんですよね?』と声をかけたんです。最初は警戒心からぶっきらぼうな応対だったんですが(当たり前ですが)、私が持つ資料や私は名古屋の方から来た、趣味で廃止競馬場を調べている等の素性を話しているうちに、資料に興味を持たれたり、割と?素性がはっきりしてきたので、警戒心も薄れ(笑)地元のお話をしてくださりました。
その方は地元にずっと住まわれている85歳のおじいさん。町内の役もずっとやってこられ地元(岡崎競馬場を含む長池のこと)に大変詳しい方でした。その方にお話を聞くと下記のようなことが、岡崎競馬場の思い出話として記憶に残っておられました(話は伺った順に書いてあります)。
・自分も含め、小学生の頃は岡崎競馬場が遠足の場所として、近隣の小学校では使われていた(開催のない時)
・この近辺には長池以外にも数多くの農業用溜池が存在した(丘陵地をうかがわせる)
・長池は昔はきれいな池だったので、隣の学校のプール代わりにも使用されていた
・向正面はハゲ山になっていたので、無料の競馬観戦ポイントになっていた
・実際は丘(山)の斜面に造られた競馬場だったので正面と向正面にはかなりの高低差があった
・3~4コーナーの外側は切り立った崖になっていた
・今は正面及び向正面は雑木林になっているが、昔は松林だった。ところが松くい虫の発生で松は全滅。今の雑木林になった。また雑木林は植樹ではなく自然林とのこと
・競馬は今の競馬のようなレースよりも、速歩やばんえい競馬のようなレースも多く行われていた(鍛練馬競争の時期か?)
・自分も含め軍隊で騎乗を教わった近隣の人は、調教の手伝いをしていた
・競馬場の跡地にあったクラタ産業は、岡崎市が最初に企業誘致を行った会社だった
競馬場に関しては、こんな生の声を聞くことができました。内馬場の長池に関しては、昔行われた灌漑工事の際に、10tダンプでのべ2,000台の土砂を搬出し最深3mの農業の池となったとのことでした。またその時の逸話も伺うことができました。その逸話というのは、土砂の搬出工事の際に、名字の彫られた何気ない石(石碑)が出土したそうなんです。それでそのおじいさんが岡崎市を通じて調査されたんですが、どうもその石碑は遡ること戦国時代ここは『小豆坂古戦場』と呼ばれ、今川VS織田、桶狭間以後は家康VS一向一揆の主戦場だった場所で(大きな合戦場ではなく今でいうゲリラ戦の戦場だったとのこと)、名もなき武士たちが亡くなった仲間の武士を埋葬した際に作ったものではないか?という結論に達したそうです。工事関係者がその処遇に苦慮していた時に、そのおじいさんが再び長池に埋めてやって欲しいとのことで、今もその石(石碑)は長池の池底に眠っているとのことでした。
こんな貴重な時間を得ながら、私のフィールドワークは進行していくことになりました。お話を聞く前に少しコース跡を歩いていましたので、写真(2次元)で見ていた印象とは、やはり違っていました。3次元的には先のおじいさんのお話にもあったように丘陵地に造られていましたので、正面と向正面にかなりの高低差があり、長池はすり鉢状の底に位置するという感じでした。またコースは
・正面~1コーナー~2コーナー中間点にかけては下り
・中間点~2コーナー~3コーナー入口までは上り
・3コーナー~4コーナーまでは急激な下り
・4コーナー~正面まではほぼ平坦
という印象でした。それではお待たせしました(笑)。私と一緒に岡崎競馬場を歩いてみることにしましょう!! まず最初に現在の航空写真をご覧ください。
そして詳細地図を次にご覧いただきます。なお地図に番号が付けてありますが、これは私の撮影ポイントになります。VOXでの表示上、見難いかもしれませんがご了承ください。
それでは①(スタート付近/直線入り口)よりスタートしていきましょう!!
現存する生活道路は実際の馬場ではなく内馬場に造られた道路だと思われますので、かなりのUP~DOWNがあります。左側が馬場側、右側が池側になります。
左側の住宅地の裏手にショッピングセンターがありますので、かなり馬場から長池に向かって勾配が下がっていました。また右側の雑木林は先ほどのお話では松林以後に生えた自然林とのことです。この写真で見るとかなりの起伏が生活道路にはあることが、お分かり頂けると思います。
奥に見えるのが1コーナーの入り口付近です。ここからは下り坂になっています。
このアングルが競馬場の跡を感じさせる一枚だと思います。長池沿いに道路が中間地点まで整備されています。
馬場のアウトは徐々に中間地点に向かって下っています。奥がほぼ中間地点だと思われます。
中間地点は現在、住宅地に転用されていました(突き当たりは床屋さん)。左側の雑木林は岡崎工業高校になります。
この写真では岡崎競馬場の向正面の長い直線の名残がお分かり頂けることと思います。また写真奥までずっと上りが続いていきます。
撮影場所は内馬場を縦断する生活道路地点です。正面に見えるのが3コーナーの入り口です。ここまで延々と上っていました。両側は住宅地になっていました。
上りの頂点から3コーナーに向かう場所を撮影。右側に塀があるので分かりにくいかもしれませんが、ここからはかなりの急勾配(下り)になっています。
こんな下り坂なんです(笑)。これで正面と向正面の高低差が、何となくではありますが伝わるのではないかと思います。
現在幹線道路(県道)につながる道路になっている左が内側、右が外側の4コーナー奥のポケット付近の名残です。
ポケットからの写真にもチラッと写っていましたが、ポケット~4コーナー(スタート付近)にかけて、岡崎市羽根乗馬場(岡崎乗馬会)がありました。もちろんサラブレッドもいましたよ(笑)。岡崎競馬場の名残をここでも感じることができます。またこの辺りにはペット関連の学校等も多く見られ、それも何か因縁のようなものを感じました(ちょっと飛躍しすぎですが・・・笑)。
乗馬場の看板あたりからはショッピングセンターまで直線が、ほぼ平坦に続いています。ここが岡崎競馬場のレースのハイライト地点?といったところでしょうか?以上が全体のコース像になります。ここからは競馬場の雰囲気が伝わるかな?と思う写真をいくつかご紹介します。たぶん、先程の地図がかなりスクロールしないと見られないと思うので(笑)、再びここに載せておきますね。
今回の撮影ポイントは長池周辺の遊歩道からです。ここは取材に訪れた時は、ウォーキング、ジョギング、釣りなど様々に地元の方々が日曜を楽しんでおられる風景が各所で見られました。正面~向正面は雑木林が張り出してきており、木陰もできて過ごしやすい天然のトンネルのようでもありました(笑)。
長池の遊歩道は1~2コーナーの名残が色濃く残っている個所ですが、こうやってみると改めてよくわかって頂けると思います。また中間地点から正面スタンドを眺めると雑木林の規模、スタンドの位置関係もはっきり分かると思います。
向正面もかなりの雑木林になっていました。また内馬場を縦断する生活道路から1~2コーナー眺めたんですが、やはり1周1,200mの競馬場です。遠く感じました(笑)。最後の写真はスタート付近から3コーナーを眺めたんですが、今の生活道路は馬場よりかなり下がったところにありますので実際とは違うと思いますが、それでもかなり高い位置にあったのかな?ということは想像させてくれます。
以上が今回の岡崎競馬場にてのフィールドワークでありました。実際に歩いてみると(何周かしましたので)かなり疲れたのが正直な感想でした(笑)。当然、丘陵地の斜面っぽい位置に造られていましたので、私の従来の競馬場のイメージ(中京、名古屋、笠松)とも違っていましたし、最初にフィールドワークした豊橋競馬場とも違っていましたので、従来の競馬場のイメージが変わったのが今回のフィールドワークでした。これは資料やネットという『2次元』的なものでは分からないことで、やはり実際に現地を訪れるということは(自分の五感で確かめるということは)、今回も大切なことと再認識もしました。
また『出会い』ということでは地元のおじいさん(笑)。そりゃ警戒しますよね・・・私だって近所にそんな人が歩いていたら???と思いますから。特に私でしたから、おじいさんも不審に思ったんでしょうね~!!! でも調べた資料を見せたり、素性をお話しすることによって(簡単ではありますが)打ち解けて、普段では得られないお話を伺えたことは、今回も素晴らしいことだったなと思っています。これも『古の競馬場を訪ねて』という連載がなければ出会わなかったのですから。これがあるから取材(記事もブログも)も楽しく続けられるんだろうな~なんて今回も感じました。
さて岡崎競馬場の取材に関しては今後も続けていきますが今回で一段落です。次はまた別の競馬場の取材を続けながら引き続き豊橋競馬場、岡崎競馬場の情報も書いていくつもりです。今回も長いスクロールになっていますが(笑)、最後までお読み頂き感謝します!!!
大型ショッピングモールになっていました。さて取材は終了です。後は私の腕次第?
追伸:帰ってきて奥さんや子供たちに話したら『知ってたんでしょ?連れてってよ~』とブーイングの嵐でした(笑)。でもね、あなた達が行くと父さんの取材がややこしくなるの(笑)。ごめんなさい!!
写真は1〜2コーナーをモノクロ(iPhone アプリ Old Camera)で撮りました。やはりフィールドワークは、様々な出会いがあって、楽しいです! これがあるから、何事も続けられるんだろうな〜と実感!
今日の最初に訪れたのは、愛知県畜産総合センターでした。ここは以前「愛知県種畜場」だった所で、岡崎競馬が最初に行なわれた場所でした。
残念ながら管理室はお休みとのこと。平日に来ないと話は聞けないようですが、まあ現地に来れただけでも良かった と思い、気分を変えて次に向います。
それでは岡崎競馬場のフィールドワークに出かけて来ます !!!
あれっ?写真は?
モーニングで吉野家にて朝定食(ハムエッグ納豆定食)を頂いております…ご当地グルメじゃなくてスイマセン !
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