Your Mother Should Know / The Beatles
2月26日の記事以来、沈黙の時を続けておりました私。そんな私もやっと、こうして少しだけブログに(自分に)向き合おうか?そんなことを思いつつ、今日は久し振りに読者のみなさんへのご報告記事となります。
休止前の記事には当時、多くのことを書くこと(書こうと思うこと)が出来なかったこともあり、周りから様々な憶測を呼んでしまったりもしたんですが、実はあの記事というのは先月末に緊急入院した私の母のことだったんです。そして判断力、決断力ということに関しては、その母が検査の結果、癌の末期であるという診断からガン告知の有無、また最悪の場合の延命措置の有無という判断、決断を行わなければならなかった私(及び身内)の苦悩というか、人の命(親の命)に関するという人生で何よりも難しい判断、決断をすることへの複雑な思いを吐きだした・・・・そんな記事でした。ただ、私にとってのかすかな光は、この判断、決断はいい意味で無駄になって欲しいという思いもあの記事にはあったんですが・・・・。
そしてあの記事を最後に、入院した母のお見舞いや世話、今まで全く持っていなかった癌という病に対する知識を少しでも得て担当医師団の話を理解しようとしたりと、生活もガラッと変わってしまいました。そんな中でも一番難しかったのは、我が家の息子達にどう伝えるか?ということだったかもしれません。何度も病院に行ったり、医師団と話をする姿から薄々とは察知していたようなんですが、やはり私の口からは『見舞いに行った通り、祖母ちゃんは元気一杯だし大丈夫。ただ、昔みたいにみんなで出かけることは難しいかもしれないけどね』という言い方に終始していました。
ところが・・・・
検査結果が全て終わらない10日あまりの入院生活、癌の影響による胸水、腹水による急性循環不全により母は72歳の生涯を閉じました。病院から母の妹が容態の急変を告げ、急いで会社から病院へ30分ほどで到着したのですが、間に合うことができませんでした。そして私が到着した時刻が生涯を閉じた時刻として刻まれました。それからすぐに私の家族もやってきたんですが、子供たちにとっては人の死というものに初めて直面する出来事に茫然自失というか、蒼ざめた無言の表情だけを今でも鮮明に覚えています。
そして・・・・
ここからは悲しみに浸る間もなく葬儀という母を立派に送り出す準備をせねばなりません。子供たちなどは冷徹に、冷静に打ち合わせや段取りを行う私を見て『父ちゃんは悲しくないのか?』と家族に話していたそうですが、私にとってはそれ以上に母を立派に送り出さなければ。親一人、子一人の親子で、最後に息子が葬儀を無事に一人でこなすことが出来るのか?ということが試されているような気がしていたんです。16年ほど前に父が亡くなった時は母がいました。今回はその母の葬儀です。16年前とは違う、自分を最後に見せることこそ最大の送り出しなのでは?そんな思いが冷徹に、冷静に見えたのかもしれません。
葬儀を無事に終え、様々な手続きなどもこなしながら、やっと落ち着いてきたのかな?そんな風に思えてきたのは、ごく最近のことです。この間、実は音楽には全く頭が、耳が、行きませんでした。耳が行ったのは教授のピアノぐらいだったかも?そんな感じでした。また、競馬に関しては新装オープンした中京競馬場へ、葬儀が終わってから親戚の方々が私を元気づけようと(笑)連れ出してくれました。
また周りの友人、知人をはじめWebの友人も様々な形で、多くの励ましを頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。
そんな友人からこんな言葉を頂きました・・・・
これで自分の人生は第二段階に入ったんです。第二段階とは、自分を無条件に愛し、心配してくれる親のいない人生のことです。
これは私に向けて二つの意味、というかエピローグとプロローグが交差する段階を迎えたという意味でもとらえています。私にとっての親の存在から、私が本当の親となる存在の交差点、そんな意味です。そんな交差点を迎えるにあたり、最後の試練、最後の試験が今回の出来事だったような気がしています。
さて無事に合格できたのでしょうか?
最近のコメント