長崎県探訪記の2回目、今回は長崎市を中心にご紹介していきます。
長崎空港から長崎市内まではレンタカーで移動したんですが、ず~っと山の中の高速道路という感じで、風景的には海を期待した私は?というドライブでした。思っていたのは『長崎市内に近づけば高速道路が、海がばっと開くのかな?』そんな期待でした。そして最後の長いトンネルを抜けると・・・・急にばっと(笑)近代的な長崎の街が登場しました(オランダ坂)。このトンネル(山)を抜けると街が広がる・・・・実は後で分かったのはこれこそが長崎だったということでした。
長崎市内の大きな特徴は、この路面電車が四方八方に走っており、路面電車でほぼ行きたい観光地に行くことができます。車で移動するよりもはるかに便利(バスよりも便利)になっています。逆に言えば私のような他の土地から来た観光客には運転するストレスから解放され、何より路面電車の線路を含んだ道路を運転するストレス(市内に車を止める数十分の運転でも知らない土地、路面電車の線路、路面電車併用の信号に嫌気がさしていましたから・・・・笑。それに観光客であろう方の接触事故も目撃したので余計にこう思ったのかもしれません)からも解放され、渋滞にも巻き込まれず、駐車場の心配もなく、観光に専念できる素晴らしい交通手段だと思いました。
それではここからは路面電車に揺られながらの市内探訪を順に・・・・
先ずは最初に訪れたのは『眼鏡橋』。意外に定番探訪です(笑)。当日は日曜日ということで多くの観光客が我が家と同様に訪れておりました。
水面に映る眼鏡橋から眼鏡が映る・・・・はチョット上手く撮れなかったですが、そんな眼鏡橋を散策していた時、買い物袋を下げた地元のおばちゃん(笑)が声をかけてくれました。『下に降りてハート形の石を探してごらん?』。この両脇の石垣にハートの石があるということ、私たちは降りておばちゃんが言う石を探したんです。すると・・・・
(笑)ありました、ありました。これがハート形の石。『これですか?』と橋上のおばちゃんに聞くと『そうそう、それ』と笑顔で答えて去っていきました。これを見つけると幸せになれる・・・・なる眼鏡橋の都市伝説があるかどうかは分かりませんが、まあ結婚20周年記念旅行の記念にはなったのかな?と思います。
この後に前回の軍艦島周遊ツアーに向かったんですが、ここには大河ドラマ『龍馬伝』で使われた帆船がツアーの船の横に停泊していました。
中には武田鉄矢さん=勝麟太郎や福山雅治君=坂本龍馬のサインもありますよと船員さんに教えてもらいました。これは別の周遊ツアーに使われているとのことで、今回は乗船できなかったんですが、この船旅も長崎ツアーの思い出となることだと思います。
2日目の最初の訪問は出島でした。この日から雨時々曇りのお天気となりましたので、写真に関しては色々とご了承ください(笑)。
ところで出島、私も含め出島のイメージって突端に橋でつながれた扇の島ではなかったですか?今の出島は昔と違って埋め立てや護岸工事などで地形も変わり、突端にあるのではなく街の中にその場所がありました。
月曜日、午前中、雨、出島は閑散とした貸し切り状態でした(笑)。
写真をご覧のように周りはビルに囲まれています。そんな場所にある出島、教科書で習ったままで今の姿を知らない(出島は海の中の島だと思っていた)私・・・・教科書を捨てよ、街へ出よう・・・・いつも思う探訪記の原点のような言葉(発見すること、新しく知ること)を思い出しました。
ここでは長崎らしいグルメを頂きましたがそれは別の機会にご紹介します。
続きましてはグラバー園です。出島からは路面電車を一度乗り換えて向かうんですが、私たちが駅で地図を広げて乗換えや降りる場所を確認していると
『どこにいくんですか?(たぶん長崎弁だったと思うんですが標準語で・・・・笑)』
と並んでいた買い物袋を下げたおばちゃんがここでも(笑)。私たちがグラバー園へ行きたいんですがと答えると
『私もそこで降りるから付いてきて』
とのこと。そこからはおばちゃんの後ろについて乗換え~下車~お礼~そしてここでもどこからともなく姿を消していきました。
グラバー園も他の長崎の名所と同じ(というか長崎を象徴する)『坂』に沿って様々な建物が建立されているんですが、やはり世界の観光地。エスカレーターがあるんです(笑)。今は楽になりましたが、グラバーや弥太郎、龍馬は徒歩で上がっていたんだと思います。昔の人は体力こそが生活の基本・・・・思い知らされました。
グラバー園の一番上にある建物から見た長崎市内です。向こうに見えるは稲佐山、天気が良ければクリアな風景が広がっていたと思いますが、この時が一番土砂降りでした。
そして雨の旧グラバー邸。アジサイがひと際、鮮やかに見えるのは雨(梅雨)の風物詩だからでしょうか?
龍馬伝でもたびたび登場しましたグラバー邸ですが、残念ながら龍馬にも、グラバーにもコスプレした人には出会いませんでした(笑)。
続きましてはお隣の大浦天主堂を。熱心にナレーションを聞いたり、お祈りしている方も見受けられました。ここは聖堂内の脱帽や写真撮影の禁止など、今でも神聖な場所となっています。
続きましては坂本龍馬ゆかりの場所に向かったんですが、そんな道中にこんなものも見つけました(笑)。
なんだか分かりますか?向こう側の台を見ればピンとくるかもしれませんね。坂本龍馬の有名なポートレートの撮影風景が再現されています。私も写真を撮ったかって?もちろん撮りました(笑)。
目的地まではこのような路地のような急坂が続きます。長崎ならではの、坂の街ならではの住宅街。もちろん昔ながらの住宅街ですから車が入り込む余地などありません。まあ、クルマもそうなんですが家を建てる時にはどうするんだろうかと素朴な疑問もわいてきました。
坂の上の最初の目的地は『龍馬のぶーつ』像でした。長崎市内が一望できる場所にあり、ブーツに足を通して龍馬が眺めたであろう風景を体感することができます。残念ながら雨のためブーツには足を通すことはできなかったんですが、風景は見てきました。
そして目指す目的地に到着しました。そこは・・・・
亀山社中の跡でした。ご存知、坂本龍馬を中心に組織された日本初の商社といわれる亀山社中があった場所です。龍馬伝でもたびたび登場した若者の活気溢れるあの場所に行ってみたい!!! と急坂を登りやっとの思いでたどり着きました。
中には龍馬の紋服やブーツのレプリカ、ピストルなども展示されています。また名誉館長の武田鉄矢さんの写真や福山君をはじめ龍馬伝の亀山社中の面々のサインも飾ってありました。奥の展示室は撮影禁止のため写真はありませんが、屋根裏の隠し部屋なども見学することができました。
そして市内観光のラストはこちらでした。
世界新三大夜景の一つと呼ばれています稲佐山です。これは2012年に選定され、長崎、香港、モナコがそれにあたります。長崎の夜景はこの稲佐山を中心に鍋冠山、風頭、立山の各公園や女神大橋からの夜景も含めあらゆる角度、場所から様々な表情の長崎の夜景がみられるということがその選定理由だとのことでした。我が家はその中でも一番有名なこの場所をチョイスしました。
ロープウェイは神社の中にあります(意外・・・・笑)。そして山頂に運んでくれるロープウェイはこちら。
まだまだ夜景には間がある時間でしたが、混雑を避けるため、明るいうちにも風景が見たかったため、そして山頂で食事をするため(笑)早めに登りました(17:30頃、ちなみに日の入りは19:30頃でした)。
この時間、雨は上がっていましたがガラスには雨粒が残っています。ロープウェイは段々と長崎市内を一望できる風景を私たちに見せてくれました。
正に長崎を象徴するような住宅街の風景がありました。まだ、こちらは整然と住宅が並んでいますが、亀山社中近辺は昔ながらの住宅街でした。長崎市は平地が少なく山沿いに住宅が広がったり、埋め立てして平地を広げたりと街が拡張していったようです。まあ最初のトンネルを抜けるとそこは街だった(笑)というように長崎は山に囲まれた坂の街というのが、展望台から見た風景でよくわかると思います。それでは・・・・
写真中央左側の木々の生い茂る一帯が、今回お邪魔することのできなかった『長崎市平和公園』です。
橋を渡ったすぐ左の建物と白い屋根が見えるのが長崎駅、正面中央右手前の緑の山に亀山社中があります。ご覧のように山を沿うようにびっしりと建物が並んでいるのがお分かり頂けると思います。
こちらは旧グラバー園を中心とした一枚。左側の山から麓にかけての住宅街も坂(斜面)です。
最後はもちろん端島=軍艦島を中心とした一枚。これでほぼ180度の展望となっています。残りの180度は島、海、山のため割愛します。さて、この長崎市の風景がどう変わるのか?それがこちらになります!!!
実は私の写真はここまでです。なぜか・・・・手振れでお見せできる写真ではないからです(笑)。そのため、次の写真は頂き物の写真です。
以上が今回の長崎市界隈探訪でした。
今回の長崎市での探訪。ほぼ『龍馬伝』の名所を訪ねて(笑)というノリになっていました。思えば放映時の2010年に寺田屋騒動の足跡を訪ねて、薩摩藩邸跡や隠れていた材木置き場、そして寺田屋や酒蔵(笑)などを回った京都 伏見界隈探訪(これ以来、京都に行っていないのでは?足が遠のいております、なぜか?)の完結編を自分の中で描いていて、今回はその夢がかなった探訪記でもありました。なかなか気軽に名古屋から来られる場所ではありませんので、いい記念にもなったと思っています。まだまだ周り切れていない場所もたくさんありますが、それは次回のお楽しみにしたいと思っています。
そんな様々な名所を周ったんですが、実は最も印象に残ったのは名所ではなく、前回の軍艦島ツアーの船員さんたちや眼鏡橋やグラバー園へ行く道すがらに出会った長崎の人々だったかもしれません。
もちろん、我が家は地図を広げてツーリスト丸出し(笑)、観光客候だったんですが、まあ長崎の人たちがそんな観光客は日常の風景とばかりに気さくに、気楽に声をかけてくれました。観光都市 長崎ならではなのかもしれません。ただ、もう一つ感じたのは、古くから長崎という土地柄に育まれた長崎人の資質なんじゃないかな?とも思ったんですよね。
長崎と言えば古くからの貿易の街、街には異人さんが日常の風景と化していたと思うんです。もちろん、異国文化を残す様々な場所や建物もありますしね。そんな異国文化に対する垣根が低い、異国文化に対するウェルカム観に長けている長崎人の資質が今もツーリストに対する気軽な、気楽な、気さくな姿勢につながっているのでは?そう感じました。一見、何でもないことのように思われるかもしれませんが、名古屋人はツーリストに対してここまでの姿勢はありません(笑)。結構、名古屋は排他的な土地柄だと48年住んで思っていますから。歴史的に見れば長崎には異国文化に接する歴史が日本で最も長く、流れていると思いますから、長崎人のオープンな性格は日本には珍しい気質なのかもしれません。
今回の長崎市内をめぐりながら何か長崎人の方々との会話が一番楽しい思い出として残った探訪記でした。
まだまだ続きます(笑)・・・・
最近のコメント