2014年(平成26年)は我が家の結婚20周年記念(笑)の年になります。いいものもあれば悪いものもある・・・・ではないですが、いいことも悪いこともあった20年。そんな本当の振り返りは11月に書くことにして(まあ書かなくてもいいんですが)、今回は毎年恒例の大型探訪記+結婚20周年記念旅行を書きたいと思います。
今回の場所は九州、長崎県。私は両親が九州人でしたので九州には福岡県、熊本県、宮崎県にはお邪魔したことがあるんですが、長崎県は初めてでした。事前に長崎県のイメージを書くと・・・・大体、行った場所がバレテしまいますので(笑)そこはご想像にお任せします。
また毎年、大型探訪記は愛車での旅行となるんですが、今回は20周年ということで飛行機での初旅行(新婚旅行以来です・・・・これも20年振り)ともなりました。なかなか飛行機に乗るということがない私ですので、マイレージ登録やiPhoneのパスブックを初めて使ったり、Googleマイマップやカレンダーでの日程、旅程など、今まで使ったことのないiPhoneの機能(アプリ)をフルに使おうと、旅行前から旅行を楽しむ・・・・そんな出発前でした。
中部国際空港(セントレア)から長崎空港へは1時間ほどで到着しました。ホント、あっという間の道中です。車でディズニーランドへ行くよりも早くて楽(笑)。第一印象は正にこれでした。
さて、ここからは今回伺った長崎県の印象に残った場所やグルメを何回かに分けて書いていくんですが、日程順に書くか?テーマ別に書くか?と迷ったんですが、テーマ別に書くことに決めました。そのため、話が前後したり、写真のお天気がつながらなかったりもしますが、ご了承ください。
先ず最初に書くテーマは到着1日目にお邪魔しましたここ。
長崎市(旧高島町)にあります『端島』 。というよりも『軍艦島』と言った方が分かりやすいですね。海底炭鉱の島として明治から昭和の日本を支えた石炭(エネルギー)採掘の島。ここがひとつの街として、岸壁、高層コンクリートアパートがひしめくその姿が『軍艦(土佐)』に似ていることから、この軍艦島という名が付けられたそうです。
炭鉱の衰退(閉山)に伴い廃墟と化したこの軍艦島が、昨今では日本の産業革命遺産、世界文化遺産の登録を目指しクローズアップされてきたり、上陸も可能になったりと新たな長崎の観光名所ととしても紹介されるようになり、私も興味深い長崎探訪のひとつとなっていました。
先ほどもチラッと書いたように、私のルーツ(両親や先祖)も九州にあると書いたんですが、実は幼少の頃に行った筑豊の閉山した炭鉱の街(直方市界隈)が記憶の中に鮮烈に残っていたりもして、廃墟(風化)した建物に興味がある私のルーツが廃坑にあるのでは?そんな自分探しの旅にもどこかなっていたような気もしました。
話が脱線しましたね(いつものことですから・・・・!!!)。軍艦島へは様々な手段があるようですが、今回の我が家はやまさ海運(株)さんの軍艦島上陸・周遊コース(150分)で向かいました。JR長崎駅からほど近い長崎港ターミナルから出航、上陸、周遊というプランです。
こちらがマルベージャ3号、この船で渡りました。船員の方の中に名古屋に住みUターンで長崎に帰ってきた年配の方がおり、名古屋から来たということで非常に親切にして頂きました(笑)。この後の回にも書かれると思うんですが、今まで行った探訪記とは違う『長崎人』の人柄を最初に垣間見た出来事でした。
造船の街 長崎、このイメージを待たれている読者の方も多いと思います。私のイメージのひとつもそれがありました。もちろんその造船所は『三菱』、龍馬伝の岩崎弥太郎が浮かんでくる私でした。軍艦島までは随時、船内で観光案内が行われ退屈することはありません。右に見えるのは・・・・左に見えるのは・・・・これです。
いよいよ軍艦島に近づいてくると船内では上陸許可証が配られました。これを首にかけ軍艦島に上陸します。そうそう軍艦島上陸には色々とルールがあります。例えば飲酒の禁止(笑)、ヒールやサンダルなどの靴の制限、傘の禁止、上陸に関する承諾書の提出などです。船内には麦わら帽子や靴の無料貸し出しなどのサービスがありました。
いよいよその姿が現れました。手前は中ノ島、その左側が端島=軍艦島です。
上陸はドルフィン桟橋から。ここから軍艦島上陸ツアーが始まります。
※ 案内図を追加しました。
最初に目に入るのは丘の上にある建物
見学広場は第1から第3広場。島内の4分の1を回ることになります。先ずは第1見学広場です。
各所ではボランティアの説明員の方が島の歴史、見える建物の説明や逸話などを紹介してくれます。ここからはその見学広場から見えた風景を・・・・
丘の上の3号棟、奥は端島小中学校、右は貯炭場です。
続いて第2見学広場、正面の煉瓦作りの総合事務所、階段が残る二坑口桟橋などを
最後は第3見学広場から
この3か所で上陸ツアーは終了となります。チョット物足りない気もしますが、整備されていない(崩落しかねない)コンクリートの建物ですから仕方がありません。将来、世界遺産登録されたり、補修などが進めば見学コースも延長されるかもしれません。
次は軍艦島周遊ツアーとなります。
ここからは軍艦島が軍艦島と言われる由縁となるショットを
この後も写真中央のように次の上陸ツアー船がやってきています。また周りには個別のチャーター船、釣り船などもいました。
第3見学広場、軍艦ならば正面のショットです。
軍艦島が軍艦島と言われる由縁の有名なショット。
見学コースでは見ることのできなかった建物群は・・・・
最後は船尾、端島病院・隔離病棟+端島小中学校です。これで軍艦島周遊ツアーも終了となりました。
こんな風に端島=軍艦島ツアーは終了したんですが、今回のタイトル『ABBEY ROAD から MY LONELY TOWN へ』とは?ですよね(笑)。先ずはこのPVを
実はB'zの『My Lonely Town』というシングルのPVはここ軍艦島で撮影されたものなのです・・・・もうお分かりですね(笑)。今回の軍艦島ツアー、私の理由は最初に書いたお話なんですが、もうひとつ(もうひとり)の理由はこれでした。このPVにまつわるお話は説明員の方ではなく、今回の船会社の若いクルーに奥さんがインタビューして様々な逸話も聞くことが出来ました。例えば機材は今回乗ってきた船で運ぶ予定だったんですが、その日は天候不良で延期。翌日は上陸ツアーが予定されていたために、地元の船で何往復もして機材が運ばれたこと。ファンの方がタオルやCDを持参されてこの場所で記念写真を撮られること。それに付随して007(ジェームズ・ボンド)の撮影秘話を含む軍艦島での撮影許可のお話など、説明員の方では出てこない貴重なお話も聞くことが出来ました。もちろん、この場所で記念写真を撮ってLINEで公開してB'zファンと喜びを共有していたのは言うまでもありません。
このアルバムのシングルジャケットは
これは・・・・
中心の建物からここだと思われます。
ふと思ったことは20年前、新婚旅行で訪れたロンドン。1番の目的は左のジャケット、世界で一番有名な横断歩道であるアビーロードをこのアングルで渡る(写真を撮る)ことがロックを聞いてきた私の夢で、この時に、この場所で夢がかないました。
20年を経てロックな旅は(写真は)私のブリティッシュロックからB'zへと変わってしまいました(笑)。ただ、20年経ってもアビーロードから軍艦島に代わっても、本質は何も変わっていないことが今回の探訪記で分かった気がします。私は(我が家は)これからもこんな風だと思います。
長崎探訪の1回目、軍艦島はこんなロックな旅となりました。
続く・・・・
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