早朝からの執筆活動?となりましたが(今は朝の4時を過ぎたところです)、昨日は気持よく、心地よく、ビールと過ごし(笑)食事もとらず、風呂にも入らず寝てしまったので、早朝から食事、風呂と済ませ空いた時間にVOXに向かった次第です!!!
今回は『岡崎競馬場編・その2』ということで、今までに調べてきた資料や地図を、経過報告ということでご紹介しようかなと思っています。岡崎競馬場に関しては、比較的?資料が多く残っている競馬場ですので、この後も取材等を続けていくと、新たな資料が出てくる可能性がありますので、ここで一旦まとめ?そんな感じの記事になります。
取材に関しては『その1』でもご紹介しました岡崎市図書館、そして昨日も行ってまいりました愛知県図書館の蔵書がメインになっています。歴史的な資料として毎回登場します『地方競馬史 第一巻』に加え、今回は二冊ご紹介します。
岡崎市戦災復興誌(昭和29年/岡崎市役所/東海新聞社)
岡崎南風土記(平成13年/大石収宏)
この他に新編 岡崎市史にも資料が残っているようですが、これはまた後日ということでご了承ください。それでは先ず、岡崎競馬場の概略についてご紹介します。
大正12年(1923年)愛知県種畜場設立(岡崎市美合町)
・愛知県畜産組合連合会主催にて種畜場用地で競馬が開催される
地図の中心が愛知県種畜場の位置です。地図の左下には岡崎競馬場の跡地も見えます。
大正13年(1924年)岡崎競馬倶楽部が組織
・種畜場用地にて常設馬場
昭和2年(1927年)地方競馬法公布
・岡崎競馬場は廃止~名古屋競馬場(名古屋競馬協会)へ
昭和6年(1931年)豊橋競馬場を岡崎競馬倶楽部が譲渡(5月)
・岡崎競馬株式会社の団体が設立(9月)
・岡崎市羽根町大字奥山地内の岡崎競馬場に移転
・愛知県畜産組合連合会が借受開催
『紡績工場』から少し西に行った楕円形の池の周りに競馬場の跡があります
昭和9年(1934年)岡崎競馬場が愛知県畜産組合連合会の所有になる
写真から岡崎競馬場は右回りだったことがうかがえます。また上右の写真は池の配置から2コーナー付近からの撮影と思われます。
昭和14年(1939年)軍馬資源保護法の公布
・岡崎競馬場が鍛練馬場となり鍛練馬競争を実施
昭和18年(1943年)愛知県馬匹組合連合会に移管される
昭和20年(1945年)終戦
昭和21年(1946年)地方競馬法公布
・岡崎競馬場が再開される
昭和23年(1948年)新競馬法公布
・地方競馬開催都市の認可
・愛知県に移管
昭和28年(1953年)岡崎競馬場は廃止、馬育成場に転用
以上が岡崎競馬場の概略になります。岡崎競馬場に関しては、戦後まで開催されていたこともあり、場所の特定なども比較的容易でした。ただ今回入手した地図上では少し分かりにくかったので、次回はもう少しはっきりした地図を探したいなと考えています。また戦後復興誌は岡崎市役所の発行なんですが、当時の戦災復興には競馬(競馬場)は欠かすことのできない収入源として認められ、この蔵書にもそんな跡が見られました。
挿絵には愛知県種畜場及び岡崎競馬場が明記されています
裏表紙(本来はカラー)の中心より少し下にも競馬場の絵があります
また1962年の岡崎市住宅明細図(新日本市内明細地図社発行)にはこんな記載もありました
そして得意の?米国陸軍空中写真です
最後の米国陸軍空中写真に関して、愛知県図書館にて国土地理院のWEBSITEを教えて頂き、確認することができました(ありがとうございました)。この写真からも4コーナー奥にポケットがあったことから、右回りの競馬場だったことが分かります。
これらの資料を携えて次回は豊橋競馬場に続く第二弾のフィールドワークに出かけてきたいと思っています。面影は残っているのかな~少しでもそんなことが前回同様に感じられたら、発見出来たら嬉しいなと今からワクワクしております。
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