昨年末にもらったある一枚の『チラシ』。その時は何気なく、新しい探訪記のヒントをもらったなとか、来年(2012年)はこれからスタートするか・・・・などとそんなに気にも留めていなかった一枚の『チラシ』。それがこの『チラシ』・・・・
頂いた相手は私の母。新たに3度目の知多四国八十八ヶ所巡礼にトライしていた折、私にこれを周ってみたら?とくれたものでした。
『だって当分は八十八か所は周らないって言ってたから、これなら行けるんじゃないかと思って(笑)』
『ふ~ん色々とあるんだね~。それじゃあ年明けにここを周ってみるよ』
とは言ったものの、今年はなぜか?腰が重く1月を過ぎ、2月が来ても一向に探訪記の『た』の字も書かれなかったことは、みなさんご存じのとおりでありました(笑)。実家に寄る度に『どう?行ってきた?』と母に聞かれると『なかなか忙しくて・・・・』と曖昧な返事ばかり。
ところが・・・・
2月下旬から状況が一変してしまったこともみなさん周知の事実。あれから2ヶ月余り、35日法要も過ぎ、落ち着きを取り戻しつつあった私が、今年最初の探訪記に出かけようと思ったのは、正にこの『チラシ』の存在が頭を離れなかったからでした。そして先日の日曜、ついに今年最初の探訪記取材へと愛知県稲沢市(旧祖父江町)と出かけてきました。
4月22日の日曜は前日から大荒れの天候と言われており、実は土曜の時点では延期するつもりだったんです。ただ、日曜の朝にふと『雨でも前は決めたら行ったはず、雨を理由に行かなくなるのは行動力が欠如してきているぞ!!!』と、今年になっての自分の行動力の体たらくを省みて、暴風雨だろうが出かけることにしたんです(笑)。
そんな目的地である愛知県稲沢市は岐阜県や三重県の県境に近く、イメージとしては『植木の町』という感じなんです。畑では多くの植木が栽培されている風景は、田園や田畑の風景とはチョット違う感じでした。また今回お邪魔した祖父江町は市町村合併により稲沢市祖父江町となった街でもあるんです。
道中は8時半ぐらいから雨が強くなってきて、 『こりゃ写真を撮るのも大変だぞ、傘を差しながらだから』と、どうやって写真を撮ったりメモ書きしようかと悩みながらの道中でした(笑)。そして最初の目的地である『祖父江 善光寺 東海別院』へと到着しました。
長野の善光寺などと六善光寺と呼ばれているような大変大きなお寺でありました。以前に伺った甚目寺観音の時も思ったんですが、名古屋からはかなり外れており、田園風景が広がる地にこんな大きなお寺があるんだという驚きが、今回も私の率直な第一印象でありました。
そして毎度(笑)寺内で納経帳(ご朱印を頂くもの)を購入しようとお話を伺ったんですが、『留守のところもありますから』ということを言われたんです。チラシにもあるように七福神にちなんで7日の日は大々的なバスツアーも組まれているようなんですが、普段は周られる方も少ないということだったんです。まあご朱印集めも大切ですが七福神に会うことがもっと大切と(笑)、その申し出を承諾して購入、周ることにしました。そんなスタートの善光寺は『福禄寿』のお寺。ただ、その前に気になる看板を見つけたんです。それがこれ・・・・
『極楽かいだんめぐり』という看板。聞くとご本尊の下(地下)に極楽浄土を立体的に拝めるものが設置されているということ。以前に三河新四国を周った時にも同じようなものがあったんですが、そのようなものとのことでした。拝観料は300円でそれを払うとこれを右腕に付けてお参り下さいとのことでした。
そしてうす暗い(ほぼ真っ暗)な階段を下りていき、壁を這うようにして奥へ・・・・実はホントに真っ暗で天井の高さも分からず中腰のまま進んで行ったんです。途中で不安になり iPhone のライトも付けたりしたんですが、全く見えない状態(笑)。挙句の果てに突き当たりで頭をゴツン!!!
そこからは多少?イルミネーションもあり、うす暗いながらも地下道の行き先が見えるようになりました。
そしてそこに現れたのは・・・・
頂いたパンフレットの真ん中の写真が正に広がっていました。ここで参拝するんですが、受付で言われたことがあって、『必ずお参りした時に鍵に触れてきて下さい。それがご利益があるものなんです。』こんなお話。それで探してみると・・・・ それがこの鍵。これに触れながら様々な(多すぎてはご利益がありませんよ!!!)お願い事をしてきました(笑)。ここからはまたうす暗い地下道を進んでいき、最初の階段へと戻っていきました。
そして本堂で順にお参りをし、同じ境内にあります『恵比須様』の根福寺へもお参りしました。ここでの時間はまだ10時前だったんですが既に写真にも写っているように大雨(笑)。傘を差しながらのお参り、撮影となり、あまりノンビリとも行かない探訪となってしまったんです。そのため、ここからは写真と印象的な出来事だけで進めていくことにします。
3番目は上杉謙信でもお馴染みの?『毘沙門天』がまつられる正塔院。善光寺から数分の場所ということもあり、駐車場はそのままに徒歩で向かうことにしました。
正塔院は路地を一本入った佇まいにあり、正にタイムスリップしたような感じを受けることもしばしば。道幅も狭く、長屋が並んだような建屋もあったりと、そんな感じの場所にありました。ただ、残念だったのはお参りに行った後、ご朱印所の表示も無く、不在だったため、3番目にしてご朱印は頂くことができませんでした。やはり7日の日しかダメか・・・・そんな思いもありながら次の場所へと向かうのでありました。
写真の通り、新本堂を建立中の祖父江観音 刈萱堂。ここは尾張七福神の事務局も設置されている場所です。また『寿老人』の場所でもありました。中に入ってお参りさせて頂いたんですが、『ここは二ヶ所になりますから』という言葉。?と納経帳を見てみると次の『弁財天』にもご朱印があり、なぜだろうか?とも思ったり・・・・その謎はすぐに解けるんですが。
ここでは納経帳以外にもお土産を購入したり、住職から『雨の中、どこからお参りに来て下さりましたか?』などと、巡礼の楽しみである会話もあったりと、『ああ、懐かしいシチュエーションだよな(笑)』と思ったりと、探訪記取材ならではの楽しみを再発見したりの場所となりました。
そして七福神の中で唯一人の女性(笑)であります『弁財天』がまつられている歓喜院へと向かったんですが、先ほどの刈萱堂ですでにご朱印は頂いていましたからお参りだけになるかな?と思っていたらこの写真!!!
堅く門が閉じられており中に入ることはできませんでした。『なるほど、こういうことだったのか』と納得しました。お寺を辞められているのか、不在なのか、また7日の日だけ開門されるのか分からないんですが、刈萱堂に立派に設置されてあったことを見ると、7日の日だけ移動することも考えにくく、取りあえずは門の前でお参りと写真撮影を行ってきました。
弁財天のお寺が固く閉ざされていた・・・・女性にはやはり縁が無いんじゃないの?という読者の方々の声には耳を傾けません(笑)!!!
次は『布袋尊』がまつられています永張寺へ。このありでも雨は止む気配もなく、激しくなるばかり。時折、気持ちも萎えてきたりしなかったり(笑)だったんですが、ちょうどいい7つの寺。『行こうか!!!』と次へ向かう時は車中で気合いを入れながら、こんな感じでありました。
ただ、到着してみると周りには多くのクルマ。そして境内からは読経も聞こえており『さては?』と思った考えはどんぴしゃり!!! 本堂では法要中でありました。そのため、ここもお参りと撮影のみとし最後の地へと向かうのでありました。
最終地は『大黒天』がまつられています尾張祖父江 地泉院。ここもかなり大きな、立派なお寺でした。ここで最後のご朱印を頂き、今回の尾張七福神に出会う旅は無事に終了することになりました。
今回の探訪記、雨に降られたこともあり各お寺とも閑散として、寂しい雰囲気もありましたが、ご朱印所では一言、二言の会話を楽しんだり、善光寺でのかいだんめぐりなどの発見もあったりして、いつものように楽しんでも来ました。
また、これもいつものことなんですが、車中ではひとり様々なことを考えたり、思いだしたりもして、2月からのことや今までのことを振り返る時間もとれました。
そんな中、『そういえば宮崎まで母と二人、名古屋から一晩かけて祖母の葬儀にこのクルマで走ったよな~』とか、『三河新四国や高野山にも行ったよな~』などの思い出も甦ったりも(笑)。そう思うと先日の『最後の試練、最後の試験』ではないんですが、宮崎まで徹夜で走ったこと、入院から葬儀を終えるまでのことを思えば、今日の雨の中のお参りなんて大したことじゃないんじゃない(笑)!!! という気持ちも生まれてきたりして、いやいや最後まで何かを教えられている気分になって帰ってきました。
最後の写真は私が頂いてきた納経帳と、母へのお土産?お供え?約束を果たした証であります刈萱堂で購入した尾張七福神のご朱印色紙です。今年もこうして探訪記はスタートしました。いよいよゴールデンウィークも間近!!! 次はどこへ?という計画も遂に?手帳の中に書かれ始めました(笑)。ここからは競馬の記事だけでなく本来の探訪記も書いていきますので、みなさんお楽しみに!!! ということで、今年最初の探訪記は、こんなお話でありました!!!
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