更新のない間、2回に分けて書きました印象的な言葉を書き留めながら、自分に起きた(起きてきた)『ある変化』に気が付きはじめた私。実はその変化とは昨年来、漠然と『そうなのかな~』と自分の中では感じていたことなんです。例えば・・・・ブログにおいては急に探訪記を書かなくなった=どこへも出かけなくなった・・・・これひとつとっても何か変わったのかな?と思っていたんですが、年が変わってそのことが全てにおいて現れてきたようなんです。それは・・・・
気力の萎え
(笑)らしからぬ言葉かもしれませんが、これを自覚し始めたんですよね~。まあ気力を奮い立たせる『何か』が失われ始めた?こともあるとは思うんですが、全てにおいて最後は力が抜けていく・・・・そんな結末ばかり。これは言葉を変えれば『諦め』の境地に突入した(今までは往生際が悪かったという話もありますが・・・・笑)のかもしれませんが、そんな気力の萎えを自覚しはじめた私は、あるキッカケでこの気力の萎えに関するひとつの答えを聞いた(読んだ)んです。まあ、書いて頂いた(教えて頂いた)方は、私が答えを求めていたわけではなかったんですが、さすがに人生の先輩(笑・・・・失礼)というだけあって、私が質問しなくても察知して一つの答えを導き出してくれました。何も聞かなくても必ず『答え』が返ってくるということは、理解されているな!!! と嬉しくも思ったりしました(病気明けの折、お気遣い有難うございました)。
さて前置きが長くなりましたが(毎度です)、そんな気力の萎えに関して返ってきた(教えて頂いた)答えは以下の通りでした(原文を転記しても差し支えない間柄だとは思いますが、あえて抜粋、意訳しています。趣旨と違っていた場合はご勘弁願います)。
>気力が萎える二つの原因
①執着心(=若さ)の衰え
執着心は年を重ねる毎に薄れゆくもの。別名は若さ。逆に年を重ねてもカネ、権力、異性(原文はオンナ)に執着できるのは若い証拠である。
②社会的な関係性の変化
年を重ねる毎に自分ではどうすることもできない問題が、様々な関係性(家庭、仕事など)が増えることによって次々に現れる。これに立ち向かうことによって気力が徐々に失われてしまう。だからといって人間はこの関係性を断ち切ることはできない。
>気力が萎えた後に・・・・
無理に『危機』などに直面したり、無理に気力を奮い立たせることは心身に異常を来してしまう。ではどうするのか?気力の萎えを自ら受け入れる=老いを自覚することである。
原文の骨子を書きましたので多少の違和感はあるかもしれませんが、私はこの言葉を読んでハッとしたことは事実でした。昨日の言葉と同じで発せられた方は、私がよく知っているようで実は何も知らない方なんですが、それでも10年近い(もうそんなになるんですね・・・・笑)間、私のことを(いえ私の書く事を)読んでくれている方で、たぶん私が言わんとすることを理解して答えを出してくれたんだと思っています。ただ、あまりに的確過ぎて(笑)驚きましたが。
今、考えると今まで行かなかった同窓会に出かけたことも、そこで感じたことも、年始に変に年をとりたくないから好奇心を忘れない!!! なんて書いていたのも実はこの気力の萎えの裏表で、影に潜んでいたものを認めたくなかった自分が起こさせた(書かせた)ことではなかったか?そんな風にも感じています。老いの自覚・・・・ついにここへ来てしまったかと妙に切ない気持ちになったりもしていますが(ホントですよ!!!)、まあ47歳になりますからね。少しは大人(老い)を自覚するいい機会だったかもしれません・・・・
と、本来ならここで今回のシリーズの最終回の結論(滞った更新時に感じていたことを書く)に至った訳なんですが・・・・
が、しか~し(誰かのフレーズ引用・・・・笑)もう一度、自分を奮い立たせてみようか(もちろん無理やりではなく)という気になってもいるんです。まだまだ子供ですからね~!!! そんな訳で気力の萎えを自覚(老いを自覚)しながらも、それと付き合いながら新しい何かを見つけよう!!! そんな私も実はいたりしています。そんなリボーン(出来るか?)な私の最初の記事は多分、来週以降に書かれます。自分を奮い立たせるもの?気力が甦るの?そんな誰かの心配を(ま、心配してないか・・・・チクリ!!!)覆す自分に帰れればと思っています。お楽しみに!!!
追伸 圧倒的な文章量に文才なるお褒めのお言葉を頂きましたが、これは失われた気力を奮い立たせるもう一つ別のもの(別の人)がいるからかもしれません。少々、厄介ですがいい意味でも悪い意味でも書かせることに関しては奮い立たせてくれる妙~小悪魔が(笑)!!!
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