■最近は名古屋の〇〇大学19歳学生なるキーワードで、名古屋で起こった痛ましい事件が連日報道されています。今日(これを書いているのは5日)に至っては週刊誌に実名報道が載るという話まで出ており、少年法云々も含め、まだまだこの報道は続きそうな気配となってきました。
我が家にも名古屋の19歳 大学生、事件を起こした子と同い年がいるわけですが、やはり同じ名古屋の学生ということで普段はニュース報道に無関心な長男もこの話だけは知っていました。ただ、彼の興味はここにあったんです。
『これって大学名を明かすのに意味があるのかな?たぶん俺の大学だったら大学名は呼ばれないな』
なるほど、親に似て?ちょっとシニカルな表現ではありましたが(笑)私もこのことは感じていました。これは実名報道前の会話なのですが、なぜ19歳大学生という報道ではなく学校名を入れて報道しているのかには疑問を感じていました。まあ事件を起こした子の大学は名古屋では一番の名門大学ですし、最近ではノーベル賞がらみの報道で全国区になった大学ですから、そのあたりの表裏をマスコミが意図的に使っているのではないかな?と勘ぐっていたんですが、やはり同い年の長男も素直にここには疑問を感じていたようです。
最近の様々な痛ましいニュースを見ていて『ここまでの余分な情報はいらないのでは?』ということを感じることがよくあります。ニュースソースは同じですから別の切り口で部数を稼ぐ、視聴率を稼ぐということだとは思うんですが、見ていて(聞いていて)エスカレートするとまた自分自身で足をすくわれるのでは?と今回の報道で感じていたりします。
■そんなティーンという話題でガラッと変わり・・・・(笑)
最近、あるキッカケでアインシュタインの名言というものに出会いました。その中にこんな言葉があったんです。
『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う』
この言葉を読んだ時に昔、教授が番組の中で漫画家の浦沢直樹氏と対談した中でも同じようなことを言っていたのを思い出したんです。その話は10代で得たものが今の自分のベースになっていて、10代で得たものがその後の自分を形成する・・・・そんな趣旨の話だったように記憶しています。
振り返ると今の自分も実は10代に得たものから何も変わっていないよな~(笑)と感じることがあります。一番分かりやすいのは音楽(ロック)との出会い。YMOであり、教授であり、David Bowieであり・・・・10代の頃も40代の半ばを過ぎても聴いているものは同じという進歩の無さ、いえいえ10代で得た素晴らしいアーティストたちとの出会いが今の私を形成していると考えています(笑)。そして10代以降もアルバムなどのリリースは続けているアーティストの音楽も、実は10代の頃に聴いていたものが一番しっくり来たりもします。もちろん、20代以降に好きになったアーティストやアルバムも多くある訳なんですが、やはり10代のインパクトには勝てない気がしています。
我が家にもティーン世代(10代)の若者が二人いる訳なんですが、ここ数年の間に人生の何かを変える、形成する『偏見』なる常識が生まれるのでしょうか?相変わらず家に帰るとiPhone片手にゲーム三昧、YouTube三昧にしか見えないんですが(笑)
タイトルはもちろん10代で聴いたアルバム(笑)、デヴィッドのスケアリー・モンスターズからです!!!
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