この一ヶ月、ほとんどが引きこもり状態(笑)でしたので、退院して来た後も出かけるといっても近所を歩く(ウォーキング=リハビリ)ぐらいで、世間とは縁のない毎日を送っている私なんですが、今日はチョットだけこんなお話です。
今日は『子供の日』、そしてゴールデンウィークも終盤戦。毎年『世間に逆らって仕事してます!!!』という声も聞かれる連休ですが、そんな時によく聞かれるのが・・・・
今日は何曜日?
こんな言葉です。連休、特に大型連休になるとこの言葉を一層聞くのではないでしょうか?曜日を、日付を忘れてしまう・・・・実は入院生活が始まって毎日というかことあるごとに看護師さんから尋ねられる問いにもこんなものがありました。
『〇〇さんお名前は?ここが何処だか分かりますか?今日は何月何日何曜日ですか?』
(笑)これです。食事を配膳される時も、検診の時も、とにかく何かベッドに用事があると最初に聞かれる言葉はこれなんです。こんなの簡単でしょ?と読まれた方は感じると思うんですが、これが以外に答えることが出来ないんです。特に私が苦労したのが日付で、これが以外に出てこないんです。集中治療室にいたころは、時計以外はそんなことが分かるものもなく、カーテンも締切で外が昼なのか?夜なのかも分からず、時計が『10:00』を表していても、それが朝なのか?夜なのか?全く分からないような毎日。一般病棟に移ってからもテレビは見ない(備え付けの有料テレビはありましたが見なかったんです)、ラジオも聴かない、そして当初はiPhoneもない生活だったので、不意に聞かれると集中治療室同様に日付も分からない・・・・こんな毎日で、卓上カレンダーを持ってきてもらったり、iPhoneが登場してやっとこの質問にもすんなりと答えることが出来るようになりました。
今回は何を感じたか?人は社会とのかかわりの中で常識を保つというか、当たり前のことを当たり前として受信したり発信することが出来るんだよな~ということです。毎日、ラジオやテレビ、新聞で感覚的に日付を常識とする。手帳やカレンダー、携帯電話から予定を確認しながら日付を確認する。周りの風景や腕時計から何気なくでも時間を確認する、そして日々の仕事から流れる時を意識する(これは意識させられるか?)・・・・今日は何月何日だろうとしっかりと確認する人は少ないと思われ、日常の中でこのような常識を意識することなく持つようにしているんじゃないでしょうか?
逆に言えば今回のように社会とのかかわりが遮断された場合、意外と常識的なことまで(常識的な情報まで)自分から得に行かなければ、何も入ってこないことに改めて気が付かされました。ニュース?日曜の結果?全く浦島太郎状態でしたので(笑)。
もっともこれは入院生活にはベストな状態(社会との関わりを一旦遮断すること)で、病気のことだけを考えて治療、療養することに専念できるということなのかもしれません。ただ、何気ない社会とのかかわりが、意外に人にとって大きい存在(人間の常識を保つ上で)であることを改めて思わされた今回の一件でありました。
タイトルはAsiaのファーストアルバムから。Timeの付いた曲か・・・・と悩んでいたところにiTunesのシャッフルから流れてきましたので(笑)。これがデヴィッドやピンク・フロイドだったらTimeだったのかな?
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