さて、ゴールデンウィークも終わり、我が家も静かになりました(笑)。好評?だったのか今回の入院日記(覚書)も、それに合わせて最後にしようかなと書き始めました。このシリーズもチョット後ろ向きになって来た気もしてきましたので。
そうは言っても今回の手術~入院に関しては、身内及び会社にしか明かしていなかったので、今でも友人、知人や取引先の方々からお見舞いメッセージを頂き、改めて感謝いたしております。
そんな中、やはり一番聞かれることは『クモ膜下出血』がどういうものか?ということなんですが、いままで敢えて細かなことは書かないでいたんですが、今日は参考までに発症の状況だけ伝えたいと思います。
高松宮記念の朝に倒れたということは既に書いたので、この日の朝の状況なんですが、GI当日ということで5時前ぐらいには起きていました。それからは私にとって普通の朝を過ごしていました。コーヒーを飲んで、洗濯機を動かし、近所のコンビニにスポニチを買いに(笑)・・・・そんな感じでした。そして時刻は7時前、急に頭に(後頭部だったかな)激痛が走りました(ハンマーで殴られたと表現しましたが)。これはどんなものなの?と聞かれますが、たぶん今まで生きてきた中で体験したことのない頭の痛みが急に現れました。思わず倒れこむと今度は強烈な吐き気がきて『これは尋常なことではないな!!』とすぐに理解できました。数年前からチョットした気になることもあり、私の中にクモ膜下出血という言葉がかすかに脳裏にあり、間もなく起きてきた奥さんに『クモ膜下出血かもしれないので、それを伝えて救急車を呼んで』と伝え間もなく救急車が来て病院へと運ばれました。
ここからは全く記憶がなく、手術後も実際に自分が憶えていたことと、後で周りから聞いたこととは食い違っていることがほとんどで(笑)、まともに記憶が正しくなってきたのは一般病棟に入ってから(10日過ぎ)のことでした。
ここで前述の気になっていたこととは?ですよね。これは正しいか否かはわかりませんが、私の場合は数年前からモノの距離感が微妙に合わなくなってきてました。例えば机やテーブルの下に潜り込むと、よく頭を打つようなことと言えば分かりやすいかもしれません。当初、私は眼鏡が合わなくなったり、年を取って感覚が鈍くなってきたと思っていたんですが、頭の病気でそんなことがあるという話を聞いたり、見たり、読んだりして、もしかすると・・・・とこの病気も含め頭の病気に関して不意に気が付くと調べたりはしていました。
今回の早急な対応というのは、何とか元気に出てこれた大きな理由のひとつとなりました(これは担当医や同部屋のクモ膜下出血の患者さんも通報の速さ、病院に来た速さが助かった理由だとおっしゃっていました)。私も(家族も含め)救急車を呼ぶにはサイレンの音など近所に分かってしまうことにためらいを覚える方も多いと思うんですが、ここは外れても(大病ではなかったとしても)恥ずかしがらずに一生に一度、命がかかったことと呼んで欲しい(早い対応をしてほしい)と思います。
そんな手術~入院生活の中で、看護師さん、リハビリの先生と研修生の方々には大変お世話になりました。特にリハビリの先生2人は口が達者になってくると文句の多い(笑)私を上手に料理してくれて?嫌なリハビリを何とかこなせるようにしてくれました。ちなみに看護師さん、リハビリの先生、その研修生とも20代がメインで我が家の長男とさほど変わらない子(あえてここは子と書かせて頂きます)ばかりで、まるで親子のような入院~リハビリ生活でした。また『長男にできるかな?』という親の目で彼ら、彼女らに接していたことも忘れられないことでした。今はアベノミクスで就職も改善して来たりで3Kと言われる職業や介護などに若者は敬遠しがちだと思っていましたが、この入院で考えもガラッと変わりました。若者もやるじゃない!!! そんな気持ちです。
どうしてもこの2つのことだけは書きたかったので、最終回の今回ご紹介しました。そして曲は彼らに向けてのタイトルで佐野元春の曲にしました。Young という曲はたくさんありますが・・・・。
追記
毎日、社会復帰に向けて歩き続ける私ですが(本当に歩いています・・・・笑)、昨日は前から悩んでいたかつらの試着に行ってきました(笑)。頭の手術跡、丸坊主をどうしようかと思い、一度試着してみたらと美容院の店長の勧めもあり・・・・。結果は被った瞬間にその場にいた全員が涙を流す大爆笑!! 社会復帰は今どきのオシャレな丸坊主となりました!!! ここから教授の髪型に戻るまで・・・・まだまだこちらも時間がかかりそうです!!!
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